2009年7月2日木曜日

波上宮

 

琉球国一之宮
沖縄県那覇市若狭1-25-11
098-868-3697


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行って来ました。沖縄は御獄文化で神社が無いものと
勝手に思い込んでましたが、ひょんなことから、地図上で
その存在を確認!
 
調べてみたら波之上宮を筆頭に琉球八社と云われる
分類までありまし・・・勉強不足。。。
気付いたからには!行かねばなりますまいっ!!
 
ゆいレール県庁前駅から海の方まで、徒歩20分ほど。
照り付ける日差しの中、歩いてみました。
 
社は崖の上に

 
一の鳥居
堂々たる鳥居がお出迎え。
が、少々ガッカリもした。沖縄ならでは!の何かがあると
期待していたモノの極めて普通だったからね。

  
境内の由緒書
 当宮の創始年は不詳であるが、遥か昔の人々は洋々たる
海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして
豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
 波上宮の御遷座伝説に「往昔、南風原に崎山の里主なる者が
あって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な
”ものを言う石”を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得る
ことが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切に
していた。
このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて
波上山≪現在の波上宮御遷座地で花城とも呼んだ≫に至った
時に神託があった。即ち、「吾は熊野権現也この地に社を建て
まつれ、然らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを
王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った」と云う。
 以来、中国・南方・朝鮮・大和などとの交易(琉球王府直轄事業)
基地であった那覇港の出船入船は、その都度、波上宮の遷座
する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は
航海無事の感謝を捧げたという。また人々は常に豊漁、豊穣を
祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え
参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬を
あつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一社に
位せしめ、「当国第一の神社」と尊敬された。明治の御代になるや
同二十三年官幣小社に列格し、沖縄総鎮守としてふさわしい社殿
神域の結構を見るに至ったが、先の大戦で被災した。
 戦後は、昭和二十八年に御本殿と社務所が、同三十六年には
拝殿が再建された。そして平成五年、平成の御造営により、御本殿
以下諸社殿が竣工。翌年五月、諸境内整備が完工した。
(以上、社務所配布の略記より)

 
参道の鳥居
太字
 
手水舎

 
狛犬?シーサー?
狛犬が紅い!
これはシーサーなのかも知れないが、インパクトある御姿。

 
拝殿
赤い、紅い!瓦も赤いしね。
屋根は琉球瓦だしね。その一部鬼瓦も心なしかシーサーに
見えなくもない・・・

左神座              右神座
速玉男尊(ハヤタマヲノミコト)    事解男尊(コトサカヲノミコト) 
 

 
御祭神
 伊弉冊尊(イザナミノミコト)
 速玉男尊(ハヤタマヲノミコト)
 事解男尊(コトサカヲノミコト)
 
相殿神
 竈神(カマドノカミ、火神)
 産土大神(ウブスナノオオカミ)
 少彦名神(スクナヒコナノカミ)
 
本殿奥の鳥居
この方向は海。海を敬い共に生活してきた証ですな。

 
世持神社
 具志頭文若命(政治家)
 野国総菅命(中国からサツマイモを持ってきた人)
 儀間真常命(サツマイモを広めた人)
 
サツマイモは、最初沖縄に入ったんですね、知りませんでした。

 
浮島神社(仮宮)
 天照大神
 他五柱
 
長虹堤とは尚金福王が即位とともに、冊封使の来琉に備え、
国相懐機に命じて築造(1452年)させた海中道路のこと。
那覇はかつて離れ島で〈那覇浮島〉と呼ばれ、首里との往来に
不便をかこっていた。
この堤が完成したコトにより那覇浮島と首里は陸路で結ばれた。
この堤を築いた際に祈り、完成した際に感謝したのでしょう。


 
参集殿


社務所

 
神紋

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