2009年1月14日水曜日

宇迦神社

 
行って来ました。
福島県東白川郡棚倉町花園

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石社号標

 
一の鳥居

 
楼門



 
金剛力士像


 
楼門からの石段


 
横に平たい印象の狛犬

 
目が特徴的な吽形

 
拝殿

 
本殿


 
手水舎

 
由緒

 
手水舎に由緒書があるユニークな配置。この由緒書によると
「成務天皇の御代、塩伊野己自直が白河の国造に任ぜられた際
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を飯沼(今の大清水)の近くに
地を選んで御祭り申し上げ、その起源は神亀年間(714)
当時飯野村(現福井)に宇迦明神を祀ったのが御創立。」とある。
 
御祭神
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
日本書紀での記述名。穀物・食物の意味で、穀物の神。
京都伏見稲荷大社の主祭神でもあり、お稲荷さんとして有名。
 
石塔

 
松平康爵寄進

 
小笠原長昌寄進

 
小笠原長堯寄進

 
棚倉藩重臣寄進

 
このように多くの石塔が寄進されている。
「足利時代の末、赤館を根城とすることになり、現在の
鹿の子山にお移し申し上げた。」
江戸時代に棚倉城が築かれ政治の中心が移っても
信仰は根強く残り慕われていたコトが伺えます。
 
水天宮

 

 
鎮護神


 
淡島神社

 
天満宮

 
八坂神社

 
近くに八槻の都都古別神社馬場の都都古和氣神社など
ありながらも身近な信仰対象として大切にされてきた社と云った
印象を受けました。
 

2009年1月13日火曜日

都都古和氣神社_馬場

 

行って来ました。陸奥国の一之宮。
福島県東白川郡棚倉町馬場39
 
 
JR水郡線 磐城棚倉駅から東に徒歩15分弱。
棚倉町役場近くに鎮座してます。
 
八槻の都都古別神社からの移動は、平日と云うコトもあって
電車4時間待ちだったので、待ちきれず路線バスを使って移動。
磐城棚倉駅で下車するも迷って、町役場の方に場所を教えて
頂きました。ほのぼのとしたエリアです。
 
江戸時代には近津三社(馬場都都古和氣神社・八槻都々古別神社
・近津神社)と総称された都々古別三社の“上宮”にあたります。
 
一の鳥居
 
社号標
 
鳥居奉献の碑

 
二の鳥居
 
境内図
 
由緒
 
御祭神
味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
日本武尊が東奥を鎮撫する際、関東奥羽の味耜高彦根命を
地主神として三森村の岩山に鉾を建てたののが創始と記載
されてます。
配祀
日本武尊
時が過ぎ、坂上田村麻呂が807年に現棚倉城跡に奉遷し
社殿奉造。この時日本武尊を配祀したそうな。
社殿を奉納したのは以降、源頼義・義家・足利義満と続く。
若干、八槻の由緒とは記載が異なりますな。
 
社号標
 
手水舎
 
随身門


 
拝殿



 
本殿
 
現本殿は、文禄年間(1590年代中頃)に秀吉の命により
佐竹義宣の奉造と伝えられている。桃山時代の建築と云う
コトですな。
 
甲山天満宮

 
稲荷神社

 
厳島神社
 
神明宮
 
東照宮
 
日枝神社
 
飯豊姫神社
 
飯豊女王の社か?この福島県と縁のある神様のようで、
陸奥国風土記には飯豊山の記載があります。
 
熊野神社
 
寅卯神社

 
寅卯と云う響きが気になり調べたら、天中殺と云う占い関連で
使用する干支の組み合わせらしい。寅卯は三代目運とされ
初代で始まった流れを、勢いづけて拡げるらしい。
三代目と云うと社殿を奉造した足利義満と関連がるのかな?
 
建武の板碑
 
これまた建武とのコトなので義満関連でしょうか?
 
勝田蕉筆塚
 
これは近代画家の筆塚。
 
社務所
 
学術的な裏付けは一切ないけど八槻の都都古別神社からとの関係は
こんな印象を受けました。
八槻の都都古別神社から始まり、時代と共に、その役割が馬場に移った。
狛犬も居ない馬場は政治的な意味合いも含めて信仰された。
ただ民衆の信仰は八槻にも向けられ続けた。
 
いずれにしても長い間、地元の方から慕われ大切にされたと云う
コトは、強く伝わって来る社でした。
 

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