都都古和氣神社_馬場
行って来ました。陸奥国の一之宮。
福島県東白川郡棚倉町馬場39
JR水郡線 磐城棚倉駅から東に徒歩15分弱。
棚倉町役場近くに鎮座してます。
八槻の都都古別神社からの移動は、平日と云うコトもあって
電車4時間待ちだったので、待ちきれず路線バスを使って移動。
磐城棚倉駅で下車するも迷って、町役場の方に場所を教えて
頂きました。ほのぼのとしたエリアです。
江戸時代には近津三社(馬場都都古和氣神社・八槻都々古別神社
・近津神社)と総称された都々古別三社の“上宮”にあたります。
御祭神
味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
日本武尊が東奥を鎮撫する際、関東奥羽の味耜高彦根命を
地主神として三森村の岩山に鉾を建てたののが創始と記載
されてます。
配祀
日本武尊
時が過ぎ、坂上田村麻呂が807年に現棚倉城跡に奉遷し
社殿奉造。この時日本武尊を配祀したそうな。
社殿を奉納したのは以降、源頼義・義家・足利義満と続く。
若干、八槻の由緒とは記載が異なりますな。
現本殿は、文禄年間(1590年代中頃)に秀吉の命により
佐竹義宣の奉造と伝えられている。桃山時代の建築と云う
コトですな。
飯豊女王の社か?この福島県と縁のある神様のようで、
陸奥国風土記には飯豊山の記載があります。
寅卯と云う響きが気になり調べたら、天中殺と云う占い関連で
使用する干支の組み合わせらしい。寅卯は三代目運とされ
初代で始まった流れを、勢いづけて拡げるらしい。
三代目と云うと社殿を奉造した足利義満と関連がるのかな?
これまた建武とのコトなので義満関連でしょうか?
これは近代画家の筆塚。
学術的な裏付けは一切ないけど八槻の都都古別神社からとの関係は
こんな印象を受けました。
八槻の都都古別神社から始まり、時代と共に、その役割が馬場に移った。
八槻の都都古別神社から始まり、時代と共に、その役割が馬場に移った。
狛犬も居ない馬場は政治的な意味合いも含めて信仰された。
ただ民衆の信仰は八槻にも向けられ続けた。
いずれにしても長い間、地元の方から慕われ大切にされたと云う
コトは、強く伝わって来る社でした。